山中すみか「元気してますか・・・」('89年10月1日リリース)
キラキラしたシンセの音。ドラムのタムが入ると、サックスの音がロマンティックなメロディを吹き込む。女性のコーラスが「Ha~」と雰囲気を盛り上げて、AORさながらの展開に心躍らせる。
そして、ブレイク。すると、そこに現れたのは、囁くように歌うあどけない声。それはざらついて、吐息の量が豊かで、初めて耳にするのにどこか懐かしいーー。山中すみか『元気してますか・・・』を初めて聴いた時の印象は、こうだった。
山中すみかさんは’75年5月6日生まれで、’88年8月28日に「第3回 ロッテCMアイドルはキミだ!」コンテストでグランプリに輝き、デビューのきっかけを掴んだ。ゴクミブーム以降、アイドル界ではローティーンの活躍が目立っており、同年デビューを果たしたのは小川範子さんや坂上香織さんといった中学生たち。そして山中さんもコンテストの当時13歳、まだ中学1年生だった。
山中さんが歌手デビューを果たしたのは翌年4月で、デビュー曲は「四月白書」。同期は今をときめく(?)島崎和歌子さんや「第2回 国民的美少女コンテスト」の優勝者である細川直美さんがいる。同期ゆえに2人とは雑誌の同じコーナー内で紹介されることが多々あり、島崎さんとはロケを一緒に行い(1)、細川さんとは中学生同士で“電話友だち”という記述もある(2)。
山中さんの本名は山中澄佳で、公私共に愛称はすみかん。ファンクラブの名前は「すみか’s HOUSE」と書いて“すみかのすみか”と読む。京都の長岡京市出身だったこともあり、黒のロングヘアも相まって、雑誌でかぐや姫に例えられることもしばしばあった。
いわゆる優等生でデビュー前の《成績はいいほう》(3)。デビューが決まってからも《3学期は4が多かった》(4)。小学3年生からずっと学級委員になっており、デビューを機に転校した東京の学校でもすぐ学級委員に。しかも先生から「山中、やれ!」と指名されたという(5)。
学業だけでなく運動にも精を出し、マラソン大会では5年連続でベスト3に入り(6)、《昼休みは、バレーボールやってる》とも明かしている(7)。またクラスの全員が自由時間に「四月白書」のサビ「おねがい〜」の箇所を合唱して“もっと遊ばせて”と懇願したというエピソードもあり(8)、活発な優等生というだけでなく、クラスメイトにも愛されていた人気者、つまりプライベートでもアイドルだったようだ。
山中さんは仕事現場でも多くの人に愛されていたようで、彼女のことを「性格がいい」「素朴」と関係者は証言している(9)。澄佳という名前は「澄んだ川の水のように綺麗な心を持つように」という両親の願いが込められているそうだが(10)、まさにその通りの性格に育ったと言えるだろう。
いっぽうマイペースな性格ゆえに、学校では“鈍臭い”から取って「ドン」というニックネームがついていたという。’89年6月には女の子だけのイベントを開催し、小学生から高校生までの同年代が集結。さらに自身でも《私はフツーの子やから、たくさんのフツーの女の子の気持ちを代表するようなものをずっとずっと歌っていきたいです》と語っており(11)、親しみやすいアイドル像だったことが伺える。
そんな山中さんの1stアルバムが『元気してますか・・・』。そして冒頭の楽曲は「10円玉の勇気」だ。声が入るまではまるでAORだが、歌われるのは10円玉を握りしめて、公衆電話から好きな人の家に電話しようかしまいか悩んでいる少女の心。詞はモノローグで、先述のように呼吸量の多い吐息のような声で囁くように歌う。
ウィスパーボイスといえば、そうかも知れないが、そういう呼び方は小っ恥ずかしい。カヒミ・カリィには洗練さを感じるけれど、山中さんはそうじゃない。いうなれば、「ちょっと歌ってみて」と言われて、その場で歌っているような普通の女の子の歌声だ。その声はときに微笑を浮かべているようにも聞こえて、歌にリアリティを持たせている。声質の面だけでなく、1人の歌手としてとても優れているように思う。
リアリティを持つ歌声がAOR的な音と絡み合って立ち上がると、不思議にロマンチックに響く。「10円10円」というコーラスも面白い。アレンジは牧野三朗氏。また作詞作曲はシュガー「ウェディング・ベル」で広く知られるFULTA氏。このアルバムにFULTA氏は3曲参加しているだけでなく(作詞作曲は2曲、作詞のみが1曲)、プロデューサーやディレクターも務めている。山中さんはシュガーと同じキャストコーポレーションに所属していたから縁があったのかもしれない。
2曲目の「花占い」は“来生たかおサウンド”だが、作曲は吉実明宏氏で編曲は山本健司氏。そして、続く3曲目の「疑問符」には「作曲・来生たかお」とクレジットされる。薬師丸ひろ子さんを目標の人物の1人に挙げていた山中さんは、どんな気持ちでこの歌を歌っていたのだろう。ちなみに両曲とも、作詞は「あなた」でお馴染みの小坂明子氏。
4曲目「時間をください」で、ふと空気が変わる。ピアノや鉄製のパーカッション、木琴や鉄筋、管弦楽器が複雑に絡む室内楽のようで、ZABADAKの音楽にも通じるものがある。
詞には「手紙をくれたあなたが気になるけれど、今は恋よりも楽しいものがあると思う」というあどけない葛藤が綴られている。「急がないでください 好きと自然に くちびるからこぼれる時まで 時間をください」と歌う倍音を多く含んだ声が、有機的なサウンドにマッチしている。
ピアノがアウトロで、それまでになかったメロディを奏でるのも、未来への余白を感じさせるストーリー性があっていい。編曲は周防義和氏。山中さんはこの曲を気に入っていたそうで(12)、メルヘンな音の世界観は、宮沢賢治を愛読していたという彼女のイメージと重なり合うようにも思う。
5曲目の「たぶん恋してる」は一際明るく、一番アイドルポップスらしい楽曲かもしれない。柔らかくてざらついた声は、低いメロディラインをなぞるときに更なる魅力を放つ。サビ終わりの「たぶん恋してるの」という含羞を交えたような歌い方もアウトロの波打つようなキーボードも、それぞれの余韻がまたいい。
決して派手ではないが味わい深い楽曲と、柔らかくてあたたかな歌声がここまで続いた。それが6曲目の「なぜ」で、一気に華やかなムードになる。
同曲は2ndシングルで、メロディのアップダウンが比較的大きい。“片思いをしている彼のイニシャルを参考書に書いては消して、その後をなぞったり”という詞は、ちょっと怖いというか、「マニアックだな」と思う。Bメロの「そっと見ていたい」の「み」で音程を若干はずしている部分が魅力的で、流れるようなメロディで気分が高まった後、サビ頭の「なぜ」から始まるキャッチーなメロディで一気に視界が開ける。
サビ終わりの「嫌いなのに好きじゃないのに」の箇所について《音程が合わなくて声をだすのに苦労しました》と山中さんは話しているが(13)、声量が足りていないところも相まってむしろ味わい深い。
続く7曲目「さよならに負けない」は、これもまた打って変わってギターのリフから入る、切迫したようなメロディラインが新鮮な楽曲。ボーイフレンドとの別れを歌ったこの曲では、サビの「バイバイババ、バイバイババ、ボーイフレンド」というスタッカートの連打が印象的だが、山中さんはマイペースに歌い上げていて微笑ましい。
かと思えば、2番の「二人っきりの思い出は少ないけれど 素敵なシーンにはあなたがいた」という詞、そしてやわらかな歌声は、儚いが芯もあって白眉。“山中節”のハイライトだ。ここでもどこか、山中さんは微笑むように歌い、全てを受け入れているような歌声は不思議な魅力を放っている。山中さんは《私がのんびり屋やから、ゆっくりしたテンポの曲がいいかなぁって》と語っているが(14)、この曲の切迫した感じと齟齬を起こしていて“良い歌い方”に転じている。
楽曲のイメージにふさわしく、複雑な音が絡みつつ、ドラマティックかつ簡潔に楽曲は終わる。アレンジを手がけた溝淵新一郎氏は、島田奈美さんの楽曲などを手がけた人物だ。
8曲目「言えない・・・!」はタイトルからはなかなか想像できないが、こちらも「時間をください」と同じく周防義和氏が手がけた、室内楽のような趣のある楽曲。
そして9曲目はデビュー曲「四月白書」。そのノスタルジックでドラマチックな雰囲気。イントロや間奏の太いシンセサウンドがまたいい。編曲は、松田聖子「裸足の季節」「風は秋色」を手がけた信田かずお氏。
この曲を録音したのは’88年12月28日(15)。グランプリ獲得からわずか4ヵ月後のことで、いくらデビュー前から歌のレッスンを重ねていたとはいえ、「悲しくなる」から始まる歌い出しのつぶやくような歌い方は、アルバムの中でも一際幼さが際立っているように聞こえる。また《高い音がなかなか出なくて、難しかったです》というように(16)確かに高音部の歌には粗さも目立つが、十分に歌い慣れていない声だからこそ切なさが増している。
そしてオーラスは「このままで・・・(はしゃいだ季節)」。一曲目と同じようにアレンジはAORで、ハーモニカがロマンティックだ。しかも途中で、the Style Council「Shout To The Top」的なアレンジも入る。山中さんはこの曲も気に入っていたという(17)。
アルバムはモノローグの曲が多く、詞のイメージも等身大で、イノセントな恋愛が歌われている。その最後の締めくくりであるこの曲で「電車の中で居眠りをしている大人達 見かけるけれど みんなして疲れてる」「こわいけど私もいつか そうなるのかも」と少女目線で素直に社会を歌う。
「もう少し子供のままで はしゃいだり嘘をついたり 恋したりしていたいから」と願う、はかなさ。そしてAORに始まりAORで終わる、その円環性。聴き手は少女の無邪気な恋の歌に、日常に、再び立ち返ることができる。
『元気してますか・・・』は楽曲とアレンジの妙が美しい作品だ。そして何より“声は才能である”と感じさせてくれる、主役である山中さんの“うた”が素晴らしい。「このままで・・・(はしゃいだ季節)」の「ひきだしに かくしてた 内緒のチョコレート 少し つまんだりして」の“山中節”を(特に「少し」の箇所を)幾つの歌手が再現できるだろうか。
「なぜ優しく息を漏らすような歌い方をするのだろう」と不思議な魅力を感じていたが、そこにはレッスンの影響があったようだ。《先生からは、息をたくさん出して歌うとか、語りかけるように歌いなさいとか注意されたりして……》(18)《息をたくさん出すと感情がこもるって教えてもらったから、そういう所に注意して歌ってみました》(19)と明かしており、だから吐息のような歌い方をしていたのだ。
さらに歌手の目標として《歌ってる気持ちを伝えられるような歌手になりたい》(20)《ホンモノの歌手ってゆーか、歌ってる気持ちを人に伝えられるような歌手になりたい》(21)と答えており、技巧にこだわるというよりかは、丁寧に歌の世界を伝えようという試みの結果、こうした歌い方になった様子。山中さんはもう一つの目標として《自分の歌を歌う!》《何ていうか、オリジナリティがあって、山中すみかにしか歌えない歌》(22)と掲げていたが、その稀有な“うた”で達成できたといえないだろうか。
また山中さんはデビュー前、小泉今日子「木枯らしに抱かれて」を練習し、《歌の先生がくれはって》ホイットニー・ヒューストンのベスト盤を愛聴していたという(23)。「木枯らしに抱かれて」はキョンキョンのアルトが魅力的で、ホイットニーはたっぷり息を吸っては吐いて歌を歌う。キョンキョンとホイットニーの歌い方を拝借したと言われれば、そう聞こえないこともない。
ブックレットで山中さんは、緑やオレンジといった優しい色を背景にあどけない表情を見せる。首を傾げて微笑んだり、かと思えば、大きな瞳を見開いたり。またニットや襟のついたトップスを着たり、やはり優等生のような雰囲気もある。
すみか’s HOUSEの会報誌の制作に携わっていた水野幸則氏はアイドル当時の山中さんを回想し、「彼女と話しているうちに、こんなに素直でいい子を芸能界みたいなところに置いといて良いのか?」と思ったと明かしている(24)。そんな山中さんの芸能生活はわずか3年ほどで、17歳頃に芸能界を去った。
デビュー当初「ドラマもやってみたい」といい、「20歳になったら何してる?」という質問に《お芝居とかやってるかも知れないです》とも話していた山中さん(25)。「四月白書」や「なぜ」のMV、宣伝映像『すみかのすみか SUMIKA's WORLD』の監督を務めたのは映画監督の岩井俊二氏で、編曲家・周防正和氏の従兄弟はこちらも映画監督の周防正行氏。強引ではあるが「いい縁に恵まれることはなかったのだろうか」と勝手ながら夢想する。
澄佳という名前には「おばあちゃんになっても通用する名前」という意味も込められていたそうだ(26)。山中さんの今の姿もおばあちゃんになった姿も、私たちに確認することはきっと難しい。しかし『元気してますか・・・』には“山中すみか”という1人の女性の一瞬が刻まれており、その輝きは永遠に失われない。
<参考文献>
- 『近代映画』’90.06
- 『明星』’89.10
- 『週刊明星』’89.04.27
- 『FOCUS』’89.05.05
- 『TYO』’89.06
- 『明星』’89.04
- 『明星』’89.12
- 『TYO』’89.07
- 『Momoco』’89.11
- 『TYO』’89.04
- 『THE SUGAR』’89.09
- 『Momoco』’89.11
- 『オリコン WEEKLY』’89.07.17
- 『オリコン WEEKLY』’89.03.27
- 『THE SUGAR』’89.03
- 『オリコン WEEKLY』’89.03.27
- 『Momoco』’89.11
- 『オリコン WEEKLY』’89.02.13
- 『オリコン WEEKLY』’89.03.27
- 『THE SUGAR』’89.03
- 『THE SUGAR』’89.04
- 『コミックコンプ』’89.09
- 『TYO』’89.08
- 『まぼろしのアイドル あの人に逢いたい』<白夜書房>162頁
- 『FOCUS』’89.05.05
- 『TYO』’89.04