winter and winter

冬の時代の考古学

山中すみか『四月白書』

山中すみか『四月白書』 (’89年4月8日リリース)

山中すみかさんのデビューシングル。ジャケットの下地は乳白色、文字色のメインは明るめのピンク。微笑を浮かべる山中さんは聖子ちゃんカットのような髪型で、白いフリルを着ており80年代的なビジュアル。その下には「Sumika YAMANAKA」と書かれた文字を花模様が彩っており、ジャケットからは華やかなイメージが立ち上がる。

ところが、表題曲「四月白書」はシリアスなピアノのリフレインが印象深い、片思いを歌った曲だ。せき立てるような雰囲気も相まって、AメロBメロ、そして「Please(お願い)!」というサビに繋がるまでドラマチックに展開される。


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いっぽう山中さんの歌声は幼く、垢抜けていない。歌い出しの「悲しくなる」という未完成で、ぐずついているようにも聞こえる歌声は、だからこそリアリティを生み、稀有な“うた”となっている。

終盤の「ぼやけた写真」というフレーズの悲しみを湛える、硬質だが愛らしい声。《レコーディングの時には明るく歌いなさいって言われて。悲しくても明るく歌った方が、悲しさが2倍になるみたいなカンジで》(1)と山中さんは回想しており、周囲のアドバイスが奏功したといえる。

また当時“片思いすらしたことない”と話していた山中さんは、レコーディングについて《感情を入れて歌いなさいっていわれて、なかなかむずかしいなって思いました。でも、少女マンガとかよく読むから、あ、こういう感じかなぁっと思いながら》と話している(2)。

好きな人に恋焦がれる気持ち。そして紺の制服、放課後の風、西陽のグランド……。「四月白書」はいわば“美少女路線”を貫いている。

いっぽうカップリング「走れジュリー 動物たちの願い」は、タイトルからは想像できないが、アレンジは実にAORだ。

同曲は船越英一郎氏の主演映画『走れジュリー』の主題歌で、映画は動物を救うドクターの話。ともすれば、ほのぼのとした楽曲をイメージするかもしれないが、しかし山中すみか「走れジュリー 動物たちの願い」のイントロは煌びやかなキーボードから静かに、甘い夢のように始まり、ギターとリズム隊が優しく歌に導いていく。サビでは「Please give me smile on smile」とゴージャスなコーラスも入る。

「この広い都会(まち)の中で 動物たちは迷い」から始まるこの歌は「人も動物も同じ地上に舞い降りた/微笑みの天使」と謳うように、動物愛をテーマにした曲。山中さんは《私も鳥を飼ってたりして動物が好きやから、そういうのを思い浮かべて歌いました》と語っており(3)、当時飼っていた、白文鳥の「ゆきちゃん」のことを思って歌ったようだ。

「走れジュリー」では「四月白書」以上に、山中さんの声の幼さが目立つ。AメロBメロのメロディがゆったりとしていたり、より低い音階をなぞっていたりするのも原因かもしれない。「人の言葉さえ知らずに」「最初の一歩」といったフレーズの発声が不安定な点や、サビの高音部の声の細さ。サビ終わり「待っていっ、るっ、のー、でー、すー」の途切れながらの囁き。大サビでも「ほほえみっ、のっ、てー、んー、しー」と細く掠れた声で、独特の“間”を持って歌う。

では、歌手として劣っているのかというと、そんなことはない。むしろ、山中さんにしか成立し得ない“うた”だ。

「人間の言葉を話せたら/きっと『ありがとう』と云うのです」の優しい、吐息混じりの囁くような歌い方。山中さんはMISIAの楽曲をMISIAのように歌うことはできないかもしれないが、MISIAも山中さんの楽曲を山中さんのように歌うことはきっとできない。技巧がないと表現の幅は狭まるが、技巧があるからこそ表現できないこともある。そして技巧があってもなくても、それぞれに魅力がある。

正直にいうと初めて聴いた時、AORの音色の上で動物愛が滔々と、それも幼い声で歌われることに「一体、自分は何を聴いているのだろうか」とちょっと笑ってしまった。だから、アイドルソングは面白い。でも「走れジュリー 動物たちの願い」が映画館で流れたら、私は泣いてしまうかもしれない。

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この動画の冒頭部で「走れジュリー」のボーカルなしバージョンが流れています。

 

<参考文献>

  1. オリコン WEEKLY』’89.02.13.
  2. 『TYO』’89.05
  3. オリコン WEEKLY』’89.03.27.